2011年06月30日
ハイ・ファイ・セット「浪漫鉄道」

あまりにも有名になりましたけど、JR九州の社歌「浪漫鉄道」は、数多くある社歌の中でも完成度の高い歌であるでしょう。
当初は、九州出身の海援隊やチューリップなどの男性グループのミュージシャンを起用する予定だったそうです。しかし、男性社員のアンケートの回答に「女性ボーカルを強調させたほうがいいのでは」という回答があって、ハイ・ファイ・セットに起用が決まったそうです。
この歌は、90年代は783系特急車内で始発駅発車直前および終着駅到着直前にテープ案内放送のBGMに挿入され、現在は885系特急「かもめ」で、博多駅到着直前に流れるそうです。
社歌はたいてい社名が連呼されたりしていますが、この社歌は「JR九州」というフレーズがわずかしか出てきません。社歌というより、九州のイメージソングともいえるでしょう。
なお、キングレコードより2009年1月21日に「社歌」と題するCDが発売され、このうち2番目に浪漫鉄道が収録されているので、CDショップで見かけたら、手に取ってみたらいかがでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=pbJr9efkjPU
2011年05月11日
岡田有希子「WONDER TRIP LOVER」

30代未満の人は知らないでしょうけど、40代の人にとっては、カリスマ的な存在のアイドルとして岡田有希子さんがいます。彼女はポスト松田聖子としてデビュー。松田聖子さんと同じサンミュージックに所属して、これからの将来を期待されました。
そんな岡田有希子さんが亡くなって26年ほどの歳月が経ちますが、彼女が自殺した理由のひとつに失恋という説があります(一部では、俳優のMTにふられたと言われていますが、実際はKMへの恋愛を事務所の関係者が厳しく叱責したとも言われています)が、今でも真相は闇に包まれています。
この歌は、EPOさんが作詞・坂本龍一さんが作曲した歌で、86年3月に発売されたアルバム「ヴィーナス誕生」の1番目に収録されています。ちなみに原曲は坂本龍一さんの「Ballet Mecanique」です。
「失恋して、夜通し泣き明かして、又恋をして...」というフレーズがありますが、この歌を提供させたときに、彼女はどんな思いを抱いていたのだろうか…?
私は彼女のライブに行っていませんが、この事件の数日前のライブのMCで、彼女が失恋について触れていたと聞いたことがあります。ひょっとして、この曲について触れていたのでは…と思います。
芸能界の中でも優等生と言われていた彼女ですが、思い込みもかなり激しかったそうです。事件後、報道を聞いたジャイアンツの桑田真澄選手は「悩みがあるのなら、僕に相談してくれたらよかったのに…」とコメントしていたのを記憶しています。
もし、この事件がなかったら、本当に芸能界は遣り甲斐も感じさせてくれる世界だと思っていたかも知れません。しかし、この事件があったからこそ、私たちは少しずつ大人になっていったのかも知れません。
http://www.youtube.com/watch?v=FVFdMAqAPg8
2011年05月10日
斉藤和義「ずっとウソだった」

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた東京電力の福島第一原発の事故が発生からしばらくして…というより、原発推進派の石原慎太郎氏らが立候補した東京都知事選の投票日の数日前にインターネットの動画サイトに投稿された「ずっとウソだった」が話題になりました。
この歌は、80年代の人気アイドルだった伊藤つかささんや荻野目洋子さんらが出演していた化粧品のCMソングで流れていた斉藤和義さんの「ずっと好きだった」の替え歌で、反原発のメッセージソングとして我々に訴えています。
一般的に、ミュージシャンの政治的な曲に対して、レコード会社は否定的なスタンスを取っているようです。この曲は、斉藤さんに賛同したスタッフによって、確信犯的に投稿されたようです。レコード会社は著作権を理由に削除したことで、同時多発的な投稿と削除が繰り返されたようです。
一部では別人が歌っているのでは?とも思われましたが、紛れもなく斉藤和義本人です。ちなみに4月8日にUSTREAMでのライブ中継では、後半に「ずっと好きだった」と「ずっとウソだった」を熱唱。ライブの視聴者数は14万人を数えたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=b01yohRgfyc
2011年04月25日
オリックスブレーブス応援歌「問題ないね」

阪急ブレーブスがオリエントリース(後にオリックスと改名)に買収されて、2年間だけ存在していた応援歌「問題ないね」を覚えている人って少ないのではないでしょうか。
この応援歌は秋元康氏が作詞、タテカワユキヒデ氏が作曲、アーティスト?はオリックス・キッズで、当時の監督だった上田利治氏が「ええで、ええで!」と褒めちぎったそうです。
ちなみに秋元氏は、同じ年に「川の流れのように」を美空ひばりさんに提供しましたが、こちらのほうは世代を超えて歌い継がれていますが、「問題ないね」はブルーウェーブと改名した頃に曲も変わり、人々の記憶から薄れてしまったのは少々残念ですね。
2011年04月12日
森川美穂「赤い涙」

1986年に発売された森川美穂さんの「赤い涙」は彼女の3枚目のシングルで、数多くのヒット曲を手がけた秋元康氏が作詞した曲ですが、あまり表に出ない曲でした。
その理由としては、歌詞に「校舎の屋上から…」というフレーズが問題になったのですが、直接的な理由は、同じアイドル歌手だった岡田有希子さんが飛び降り自殺した事件があり、社会的な事情を鑑みて、この曲のキャンペーンが展開されなかったようです(注:発売は事件の前でした)。
負けん気が強かった彼女でしたが、この事件は相当、精神的にも参っていたようで、自身が執筆したエッセイ「傷あと」(ソニーマガジンズ)にも触れられていました。
ちなみに、彼女は菊池桃子さんと誕生日が1日違いで、通っている高校と所属レコード会社が同じということで、アイドル歌手として売り出されていましたが、本人曰く、かなりコンプレックスを抱いていたようでした。私としては、自分の妹のような性格のタイプで、それなりに良かったですけど…
http://www.youtube.com/watch?v=B9m6zm83dkE